カンタービレ

なぜ、この作品にこんなにも強く

揺さぶられるのかを考えてた。

最近うるさいよね、うるさいので、

奥ゆかしくここに書き留めておく。笑

 

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のだめの連ドラが大流行したのは、私が中学2年の時。

 

そもそも吹部に入ったのはスイングガールズを見てジャズに惚れたからで、そのオマージュとしか思えないような神キャスト、型破りなSオケのパフォーマンス、全部が刺さりに刺さって大ハマり。あの頃の煥乎堂はのだめの聖地だった。笑

 

あれは何だっけ…選択音楽か何かの授業、自由編成で好きな曲を発表する会があって、ピアノやってる仲良しと2人でやったラプソディインブルー。あれが何だかずっと忘れられないでいる。

 

とまあ自分の思い出話はこれくらいで。笑

 

ふと見返した「のだめカンタービレ」。

はて、どうしてこんなにも“良い”んだろう?

 

 

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のだめカンタービレの“良さ”とは。

 

一言にはまとめられないと思ったので、しっかり項目分けして考えておきたいと思う。笑

 

 

 

⑴ ムジクスとカントル

 

「中世では神の作った世界の調和を知るための学問が、

 天文学幾何学、数論、音楽だった。

 音楽理論を熟知して、理性の力によって作品全体に対し入念に音楽が判断できる人を”ムジクス”といい、

 ただ音楽を歌ったり演奏したりする人を“カントル”と言った。

 ……“カンタービレ”の語源だよ。」

 

これは言わずもがなの大テーマですね。

音楽のもつ不思議な両義性。

 

音楽は歌って、奏でて、楽しむもの。

なのにどうしてこんなに厳しく苦しいのか。

 

 

ムジクスとカントル。

かつては別々の肩書きが用意されていたような理論と感覚を、

楽家は一つの体、一つの脳で表現しなければならない…

 

そりゃ葛藤があって当たり前だ。

 

主役の二人がこの両極端にいる様な存在で、

正反対、なのにパズルのようにぴったりとハマり、

音楽を前にすると、一つになって流れ出す。

これが分かりやすくありきたりな様で、とにかく、凄い。

 

 

「出会ってから良いことづくし。

 俺をここまで引き上げてくれたのはあいつだと思っていたけど、

 もしかしたらあいつをこの舞台に連れてくるために、

 神様が俺を日本に押し留めていたのかもしれない。」

 

 

千秋がのだめとの関係を回想する時よくこの話をするけれど、正にそうなんだと思った。

どちらも互いが忘れていたこと、気づかなかった部分を刺激しあって覚醒させて

スクリューのように登っていく。

(支え合い、補い合う、では無いところが大変重要。最終的にはどちらも自分一人で体現すべきことなので補完はできない。)

 

これが音楽の難しさであり、楽しさ、美しさなんだと叩き込んでくる…

 

 

「楽しくピアノを弾いて何が悪いんですか?」

「もっと楽譜を見ろ、作曲者の声を聞け」

 

気づいた。

某劇団での歌練を経て、私はムジクスを知った。

中学生の私はカントルだったのだ。ただ楽器を鳴らし、音の波に乗るのが楽しいだけ。

 

ムジクスを知った今だからこそ、この話がこんなに面白いのか…!

なんてことだろう。本当に面白いな、音楽。(突然語彙がなくなる)

 

 

 

 

⑵のだめと千秋の関係性

 

前項で述べた通り()この2人の関係が狂おしい程良いのは理にかなっている。

しかし見れば見るほど良い。良すぎる。

結局2人を一番固く結びつけているのが、他でもない音楽であるところがとんでもなく良いのだ。当たり前だけど。

  

私が最も感動したのは、千秋の本番を見るのだめの姿、そしてその時の千秋との対比、です。

 

ⅰ:千秋の指揮者デビュー・Sオケ初お披露目 (突然論文形式を強める)

落ちこぼれオケと言われたSオケが型破りなパフォーマンス演奏で客席を盛り上げ大成功、色々あったけど、音楽って楽しい!最高!仲間も最高!というシーン。

 

(どうしても動画参照にしたくてツイート引用させていただく…)

 

みんなが、千秋が、音楽って楽しい!!!とルンルン爽快なこの場面で

のだめは驚くほど号泣なのである。

 

同じく、やっと音楽の楽しさを思い出した千秋が黒い羽を散らしながら全身でオケを咲かせたパリ編プラティニ本選でも、千秋が打ち震えながら音楽を楽しむのに対し、のだめは大号泣。

 

ⅱ:千秋の日本ラスト公演・RSオケ本番

 対照的なのはこのドラマ最終話のRSオケ。オケの思い出、ここに至った奇跡のような出会いの数々を思い、旅立つ千秋に向かって全員が最高の音楽を鳴らしまくる胸熱シーン。最終話なので見てるこちとらもとんでもなく胸熱、な場面。


のだめカンタビレー

(ラスト2分くらい参照)

プラティニ優勝記念コンサートもそうだが、千秋はこういうシーンで今までの軌跡を思い返して感極まり号泣する。意外と人情部分で泣いちゃう千秋が好きだ(うるさい)。

そういう時のだめは不思議に落ち着いていて、優しく暖かく、千秋を見つめてる。

 

 

 

もしや……のだめは千秋のこれまでの努力や想い出っていうバックボーンの部分より、千秋の音楽そのものを浴びた時の方が琴線に触れるっていう描写なんじゃないか……?

 

大好きで、憧れで、ずっと一緒にいたいと背中を追い続けている人。

その人が目頭を熱くして舞台に立っている姿の方が、普通ならつられて泣けてしまう気がする。

 

でものだめはそうじゃない。

千秋が心から音楽を楽しみ、自分の音を存分に鳴らしている時の方が、のだめには響いてるのか。

 

千秋の音楽への圧倒的な共鳴。

絶対的なリスペクト。

音楽を通して固く繋がる唯一無二の関係性。

 

完敗だ…と思った。(?)

 

 

演出なのか、上野樹里が意図的か感覚的にやっているのか、勝手な考察かはわからないけれど、これはとにかく凄い。

 

あまりにも美しい。奇跡だ。

 

 

 

 

⑶この瞬間のために。

 

出ました、コレはソレです。

 

 

真実の瞬間、です。

 

 

またこれかよ………言い擦りたくないのに……くっ…

 

 

 

真実。

ただその瞬間、その一瞬に命を燃やす煌き。

自分自身でそれを本物だと思う、言わば強烈な思い込み。

 

 

「音楽は時間芸術なんだから」

 

昔ソロ練をしてもらっていた時に言われた言葉。

 

音楽は時間。

だから停滞してはダメ、用意してたものを後ろからなぞっていくだけじゃダメ。

その拍、その音、その一瞬に、

食いついて、進む。

前へ、流れる。

 

音楽と向き合うということは、今、この瞬間に向き合うこと。

楽家というものは必然的に「今」に命を燃やさなければならない。

 

命が迸るような一音一音が、繋がって紡がれて、一つの音楽になる。

 

そんな………

登場人物全員が、今、ただこの一瞬の為に生きているなんて。

 

眩しくて目が潰れそうだ。

 

のだめカンタービレは、パリ編まで到ることでとにかく覚え切れないほどの登場人物が出てくる。

それぞれが関わり合いながらも、結局全員が一番大切に向き合い続けているのは「音楽」。

国を超え年齢を超え、こんなにも沢山の人たちが「今」に命を燃やしているなんて。 

そしてそれを芝居によって「本物」にしてしまったのが更に凄い。

 

 

ああ、いいなぁって。

魂の震える一瞬の為に全てをかけるって

本当に美しいなぁって、思うのです。

 

 

 

結局一番の感動ポイントはここなのでした。笑

 

連ドラから特番パリ編、そして最終楽章の映画2作という超大作を

全ての演者、作り手が心血注いで「真実」にしてしまった。

 

音楽への深い愛と尊敬がギッチギチに詰まっているような感じがして…

胸がいっぱいになるのです。

 

 

 

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……長かった。

口調も統一されない変な論文を書いてしまった。笑

 

とにかく全人類が見るべき不朽の名作「のだめカンタービレ」。

14年たった今でも、きっと世界のどこかに野田恵はいて、音楽と生きてる。

絶対に!これは真実だから!!

 

 

 

私も、森羅万象、宇宙の調和を夢想しながら、

カンタービレして、生きていきたい。