大人ってなあに

「年を取ると、一つのことを

 二つにも三つにもわけて複雑に考える。
 真実は一つだけなのにいくつもあるように言う。

 なぜだろう?」

 

1年に4、5回はフッと思い出してしまう台詞。

 

大好きな台詞。

 

先生の書く脚本って、ここぞという決め台詞より

こういうふとした言葉の方が脳裏に焼き付く。

 

 

わたしの、噂の代表作より。笑

 

 

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大人ってなあに?

 

って、もう何百回も巡ってきた命題。

この度また一つ論説が立ったので発表します。笑

 

 

 

 

「大人の女ってなに?何をしたら大人の女?

 そうやってワインを飲むこと?」

 

「大人の女はね、例えばモロッコに旅をしたり

 虎と見つめあったりするわ。

 …あと、誰かのことを信じられるようになる。」

 

 

 

1000%うろ覚えなので言い回しは適当ですが

激推し映画『ジョジョラビット』で

こんなことを言うシーンがありました。

 

要は、誰かを真っ直ぐに信じられるようになったら

大人、ということ。

 

 

 

 

人は子供の頃、無邪気に色んな事を信じる。

 

疑えるだけの知識が無いから。

裏切られた経験が無いから。

 

 

だから月日を重ねるごとに

「本当に大丈夫かな?」

「この人信じていいのかな」

と、疑う引き出しが出来ますね。

 

でも、「大人の女は人を信じる」んですって!

 

何よそれ、どういう事よ。

 

 

 

 

…思うに、経験や知識を踏まえた上で

信じられる、信じたい、と思える人を見定められるようになる。

それをここでは「大人」と呼んでるのだと思う。

 

 

品定め的な意味合いではなく…

信ずる相手と響き合えるような心のあり様。

 

経験や知識の層の上で

無駄な邪念や憶測を削ぎ取って

澄んだ世界に突き抜けた人。

 

淀みを払って真実を捉える力。

 

 

…何の話だろう、伝わりますか。

 

 

「大人」になるということを

「深化」という地へのベクトルで考えることが多かったわたしにとって

なかなか新しく、美しい表現で気に入ったな、という話です。

 

 

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ヴォルフガングは恐らく

知識や経験を踏まえた層の積み重ねさえ

経由しなかったのだと思う。

 

無邪気な子供の状態から

澄み切った大人の完成へ直行した人?

寧ろ生まれた時から審美眼が備わってる感じ。

 

 

でもほとんどの人間は社会の中で

層に揉まれないといけないから

 

その先の澄んだ世界へ行けるか

層の中で沈んで行くかで

感性が変わって行くんだろうなぁ。

 

 

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一つのことを二つにも三つにも分けて考えて

…あれ?でも結局これって

足したらただの1だよね?

 

って、気付けるような大人になりたい。

 

 

っていうことを、四つにも五つにも分けて

グルグル考えてるな、今は。

 

 

 

 

 

いつか、透き通るようにシンプルで

澄み切った大人になれますように。

 

 

 

 

ああ、私、まだまだこれからだなあ。笑